2004年11月02日

映画「廃市」を観る

私は女優の小林聡美のファンなので、そのつながりで大林監督作品の「廃市」を観ました。昔のフジテレビの深夜ドラマ「やっぱり猫が好き」以来、色々と追っかけて出演作を観たりしているのです。

「キリコの風景」のような少しシュールな感じの作品や、多くのテレビドラマに見られるようなコメディエンヌな才能を活かした作品が多い中にあって、この「廃市」は大真面目にシリアスな役を演じており、ある意味、異色作なのかもしれません。

大林監督作品の特徴である「回顧的センチメンタリズム」というか、「“取り返しのつかなさ”が生み出す感傷美(?)」といったものは、本作でも健在です。

主人公の江口が持つ携帯時計で表現されているように、柳川での時間は停滞しています。そこで悩み葛藤する人々の心もまた停滞したまま、諦観とも言える境地で業(ごう)を背負い続けているかのようです。

この物語に対して「誰が誰を愛していたのか?」と問うことは、意味があってないようなものではないでしょうか? 自らを欺き、その事実の存在そのものをも欺く。しかし欺き続けてもそれらの事実は、彼らの周囲に、まるで掘割のよどんだ水のごとく漂い続けているかのようです。

未見の方のためにもネタバレは避けますが、ご覧になる方はぜひ、この作品が持つ「時間の流れ(留まり)方」を味わってもらえればと思います。

最近の小林聡美しか知らない人にとっては、最初、彼女の演技に戸惑いを感じるかもしれませんが、物語が進むに連れて、他の誰にも出せない存在感にグングンと飲み込まれて行くことでしょう。

しかし、あれですね、小林聡美という女性は、容姿や性格に関する一般的なものさしを無効にしてしまうような個性がありますね。まあ、「小林聡美論」のようなものは今後、折に触れ書いてみようかと思っています。

2004年11月02日 03:42 | 4.映画・音楽・テレビ

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