2004年09月09日
北野武の座頭市
先日、いつもの日本映画チャンネルにて、北野監督の座頭市を観ました。
「BROTHER」や「HANA-BI」など、その独特な死生観の表現や時間感覚に魅力を感じていたのですが、さて、今回は監督初の時代劇エンターテイメントということで、その出来栄えが気になります。
私は割と時代劇が好きでして、黒澤映画をきっかけに剣戟(チャンバラ)にハマりました。忘れられないのが同監督の「用心棒」の冒頭でチンピラが腕を切られる場面。「痛って~!」という真正面のリアリティには背筋が凍ったものです。
座頭市にも同様のリアリティと、そして物事自体がこちらにアピールしているような“押し”を感じることができ、キャッチコピーでもある「最強」の二文字はそのアピールの強力さを代弁して余りあります。
そして、石灯籠が真っ二つになるだとか、上半身のスウェーだけで剣をよけるだとか、そういった痛快さが満ちていると同時に、いつもの監督の“死の寒々しさ”といったものがふと姿を見せます。
さて、観ていて気になったのが「観る側の時間の流れ方」です。
他の作品では「時間の澱(よど)み」や「浮遊感」といったイメージで肯定的に体感できていたのですが、本作では娯楽性を意識したテンポ感の中で突然「北野時間」が現れてくるため、時間の澱みではなく時間の停滞として感じられてしまったのです。
具体的には、旅芸者の過去の回想の一部分や、服部の人物描写といった場面でそれらを感じました。もっとも、そういった場面での音楽の使われ方にミスマッチ的な面があったことが、その理由のひとつだとも思います。
痛快は痛快なのですが、観る側の気分を切り替える手順や段取りといったものに不自然さを感じてしまい、のめり込むようなところまでは入って行けなかったのが残念な点です。結局、人物描写の掘り下げを(恐らく意図的に)しないで置いたことが、娯楽性を上げるのではなく返って下げてしまったのかもしれません。
とは言え、浅野忠信の存在感は相変わらず良かったです。まあ、だからこそ掘り下げ方が気になってしまうのでしょうね。大楠道代扮する妻は、もっと役柄を膨らませてあげて欲しかったです。
コッテリとした味わいの時代劇がお好きな方にはオススメしませんが、一風代わったチャンバラ映画を観たい方はぜひどうぞ。色々不満を書いていますが、基本的に楽しめる映画ですし、北野作品というレッテルを外して“役者ビートたけし”主演映画として観ることで、ストレートに体験できると思います。
2004年09月09日 14:32 | 4.映画・音楽・テレビ
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